パルディ天球図 より、こと座 Ignace Gaston Pardies, Wikimedia Commons

7500年後? ~Wolf424~

以前、当サイトをご覧の方から「Wolf424という星が、7700年後に太陽系に1光年まで近づくことが判明したようだ」というお知らせのメイルをいただきました。

情報ソースが分からなかったのですが、Wikipediaを見ると、確かに、

ウォルフ424は太陽系に対して最も大きな空間速度を持った近傍の恒星であり、秒速555kmで運動している。 ウォルフ424は太陽に近い上に高速で太陽に接近しているため、21世紀の間に見かけの光度が2%以上も明るくなると計算されている。7,700年後には太陽系から1光年の距離を通過し、その前後には太陽系に最も近い恒星になると考えられている。
(Wikipedia ウォルフ424より 2013年10月28日閲覧。 2015年5月1日現在、上記文章は削除されています)
Web Archive Wolf424(2013/11/17)

とあります。

ただ、Wikipedia以外のソースが見つからず、Wikipediaでも、この情報の出処、特に「秒速555kmで運動している」という数値が、どこから出たのか、ということがわかりません。本文ではそう書いてありながら、すぐ右のWolf424の視線速度データは「-2km/s」になっていますし、SIMBADのデータでも、「-5km/s」です。

けれども、この情報が本当なら、すごいことです。今から7,700年後、現生人類が存在している可能性がある時代に、1光年のところまで恒星がやってくるのです。7,700「万年」後、ではない、7,700「年」後。

そのころ、人類の技術がどれくらい発達しているのかわかりませんが、ワープやそれに類する時空跳躍技術はもちろん、バサード・ラムジェットやレーザー推進システムなど、何光年も航行できる恒星間宇宙船は、たぶんできていない1、と、個人的には思いますので、他の恒星系に探査機を送り込める、最初のチャンスとなりそうです。

はたして、この情報は本当なのか。 まずは、色々と調べてみました。

Wolf 424

Wolf424は、おとめ座にある、明るさが12.5等級(以下、数値はSIMBADのもの) スペクトルはM5の、暗くて赤い星です。時々明るさが変化する、閃光星として観測されていて、Fl Vir という名前も持っています。

Wolf424の太陽系からの距離を示す、年周視差は 0.227″。 太陽系に一番近い、ケンタウルス座アルファで、0.742″ ですので、これはかなり大きな値です。あと8,000年弱で太陽系に1光年まで近づくのですから、近くにあって当たり前ですが、年周視差から求まる距離は、14.4光年。固有運動が、赤経 -1.730″/年、赤緯 0.203″/年 という、大きな値なのも、近い星だということを示しています。

太陽系から14光年くらいにあるのに、明るさが12.5等級、ということは、かなり暗い星だ、ということが分かります。絶対等級は14.4等級(数値は、SIMBADの値を使った独自計算)。距離と同じ数値ですが、偶然です。太陽の絶対等級は4.8ですので、太陽よりも10等級も暗い星。赤い星で表面温度も低く、このことから、この星の直径が小さい、ということが推定できます。

さらに、この星を望遠鏡で観察すると、2つの星が並んで見えます。お互いを回る「連星」  望遠鏡で見えますから「実視連星」の一つです。

それぞれが、太陽の14%程度の質量をもち、周期は15.6年。二つの星の距離は6億km(この段落の数値は、Wikipedia にも参考文献として出ている、G. Torres, T. J. Henry, O. G. Franz, L. H. Wasserman, “The nearby low-mass visual binary Wolf 424”, Astronomical Journal, 117, 1999. のものです)

とても小さい星のため、ひょっとすると赤色矮星ではなく、褐色矮星ではないか、とも考えられていましたが、上の論文では、褐色矮星であるほど質量が小さくない、と結論づけています。

さて、Wikipediaのとおり、秒速555kmで太陽系に近づいてきたとしたら、この星は、星空をどのように動くのでしょうか。

太陽系に最接近

Wolf 424の動き

Wolf 424の動き

Wolf424は、現在はおとめ座にあります。おとめの右肩のあたりにある13等級。目ではもちろん、望遠鏡でも、口径が15cm位ないと見ることはできません。

右の図を見ていただくと分かるように、何しろ秒速555kmで移動している星ですから、1万年で天球を半分動いてしまいます。次のページのケンタウルス座アルファも速く動きますが、その比ではありません。

これから5000年ほどは、おとめの頭を通過し、しし座の後ろ足付近に移動していきます。それから3000年で、一気に冬の星座を通過、秋の星座、くじら座の鼻先まで移動していきます。

今回の計算では7500年後に、Wolf424が太陽系に最接近します。そのころ、こいぬ座のはずれにありますが、何しろ絶対等級が暗い星、太陽系に最接近の時でも、7等級、肉眼で見ることはできません。

二重星ですので、望遠鏡で見ると、10″程度離れた赤い星が16年周期で互いを回る様子を見ることができるでしょう。

そのまま、オリオンの肩の星、ベテルギウスを通過し、くじら座の背中へと去っていきます。

この星は、いろいろな1等星のそばを通っていきます。

6800年頃にはしし座のレグルスのすぐ南、7400年後にはこいぬ座のプロキオンの北、7600年ころには、オリオン座のベテルギウスの南。とは言っても、肉眼では見えませんから、そのころ夜空を見上げても、接近していることには気づかないでしょう。

probably erroneous

さて、Wolf424という星が、太陽系に近づき、遠ざかっていく様子を見てきました。

ただ、これは、視線速度が-555km/s という値を用いたもの。この数値がどこから出ているのか、はっきりしないと、このコンテンツでの「もっともらしいウソ」なのか、まるでウソなのかの区別もつきません。

Wikipedia ウォルフ424の「外部リンク」に、ウォルフ424AB (SolStation) というものがあります。この飛び先の、「System Summary」を見ると・・・。 太字で「古い計算では、7500年後2に0.95光年まで近づく、と、言われたが、それ、多分間違いだから(超訳)」とあります。

間違いって・・・。

論文を見てみる

SolStation が参照している、2つの論文、

が、今回のお話の元になったもののようです。Mülläri, A. A.; Orlov, V. V., 1996 の論文が「Wolf424が7500年後に太陽系に0.95光年まで接近する」という結果を発表したもの。

Vadim V. Bobylev, 2010 が、それはおそらく誤り(probably erroneous)だと反論しているもの。この論文の中で、

  1. Mülläri, A. A.; Orlov, V. V., 1996の計算結果は、Gliese and Jahreiß(1991)の、視線速度、-553.7km/sを用いて得られた
  2. Tinney and Reid (1998)が、高分解能分光器(high-resolution spectrometer)にて測定した視線速度は、0.9 ± 1.7km/s
  3. 以前より、この連星系の視線速度は −5 ± 5 km/s(GCRV, Wilson 1953)が測定されていた
  4. Gliese and Jahreiß(1991) が編集した視線速度は、おそらく誤りである。
  5. 新しい視線速度、0.9 ± 1.7 km/sを用いた計算結果は、6 ± 5 pc(=20光年± 16光年)、−3000±6000年となる

という主張がなされています。

もし、これが正しいとすると、すでに最接近は3000年前に過ぎており、距離は20光年、という解釈ができるのですが、この星までの現在の距離が14光年なのに、計算で出た最接近距離は20光年、その誤差範囲も16光年と、正直、あまり意味のある数値ではない印象です。連星系なので、視線速度を正確に求めるのは、難しいのでしょうか。

誤差範囲をずいぶん広くとっているのは、今回取り上げた Mülläri, A. A.; Orlov, V. V., 1996 の、7500年後に0.95光年まで接近する、という値も入るようにしているから、とも見えます。

データ上の星を想像してみる

Mülläri, A. A.; Orlov, V. V., 1996 で、計算に用いている視線速度が掲載された、Gliese and Jahreiß(1991) というのは、太陽系から25パーセクの範囲の星を集めた 「Gliese近隣星カタログ」のこと。系外惑星などのニュースで時々出てくる「グリーゼ581」など、「グリーゼ☓☓☓」というのは、このカタログに掲載されている星。近隣星カタログとして、大変ポピュラーなものです。ですから、 Mülläri, A. A.; Orlov, V. V., 1996でも、計算データとして用いられているのでしょう。このサイトでも、このコンテンツを作成するときに、全く同じ版を確認しています3。手元にある「Gliese近隣星カタログ」を改めて確認してみると、たしかに、視線速度は「-553.7」とありました。

視線速度が-553.7km/s というのは、改めて考えると、正直、怪しい値です。「Gliese近隣星カタログ」に掲載されている、いちばん高速な星は、この星、Wolf424=Gl473。2番めは、Gl 579.2ABの308km/s、294.3km/s(連星)、3番めはWo9722の-260km/s、4番目はGl 191の 245.5km/s、 と続きます。Wolf424と、2番目のGl559.2ABの値が、200km/s以上も開いてしまっているのは、かなり不自然です。

位置や固有運動がよく測定されている星と比較してみましょう。

星空を高速で移動している恒星、というと、有名なのはバーナード星です。この星の視線速度は-110.8km、固有運動は 赤経 -0.799″/年、 赤緯 10.328″/年、年周視差が0.54831″。 これらを使って、 太陽系に対して移動している速度を計算すると、142km/sくらいです。それに対して、Wolf424の速度は、556km/s。

「高速星」と呼ばれるバーナード星の、4倍近い速度で移動しているのは、やっぱりちょっと不自然。

「どうしてそんな高速な星ができたのか?」 「おとめ座の方向、銀河北極の方向から556km/sで近づいてきているということは、銀河系の脱出速度も超えていると思われるが、銀河系外で作られた星なのか?」 という、この星の出生の秘密にも、興味が湧いてきます。

実際のところはどうなのでしょうか。

最新データを確認

グリーゼ近傍星カタログは、その後も、共同編集者のJahreißによって更新されており、現在はネットで検索できるようになっています。

そこで、Wolf424=Gl473のデータを確認すると、視線速度(R.V.)は、なんと、普通の星と同じオーダーの「-2km/s」という値です。つまり、秒速555kmという視線速度は、エラー値だった、ということです。

上のリンクのGl473=Wolf424の更新日時は、1998年11月 5日。Tinney and Reid (1998) にて、高分解能分光器での測定結果が発表されたのは、1998年3月5日。新しいデータが発表され、修正した、と考えられます。

どうやら、2013年11月時点では、Wolf424という恒星は、太陽系に1光年まで近づくことはないようです。

天文のデータも、膨大な数の星、そして、それを表現するたくさんの数値があります。今回のこのお話で、ポピュラーなカタログにも、エラーがまったくないとは言い切れない、ということが、よく分かりました。データそのものを鵜呑みにするのではなく、そのデータの意味を考えて、正しいかどうかを判断する、ということも必要ですね。

  1. こんなことを書くと、あちこちから怒られそうですが。あくまでも個人的な見解です。ご容赦を
  2. ここでも、参照している論文内でも7500年後とありますので、計算上の接近は7700年後ではなく、7500年後なのでしょう
  3. この時は、肉眼で見えるようになるもの、という基準で計算しましたので、この星には気が付きませんでした